Ginza Sushi Ichi

Restaurant

Ginza Sushi Ichi
320 Orchard Road, #01-04 Singapore Marriott Tang Plaza Hotel, 238865
TEL:+65-6235-5514

5月10日は母の日。この日のディナーはお寿司♡
インスタでフォローさせていただいている方がご紹介されていて気になっていました。
CB中、テイクアウェイメニューがあるのでオーダーしてみました。
夫はPremium Nigiri Sushi Set(100ドル)を私はSpecial Nigiri Sushi Set(80ドル)をお願いしました。
※かっぱ巻があまり好きではないので、かんぴょう巻に変えていただいています
ちなみに私はサラダと切干大根と永谷園のお吸い物だけ用意しました。

お寿司。。。とっても美味しくて幸せ!!!
夫婦で「美味しいね」と何度も言い合いながらいただきました。
インスタでフォローさせていただいている方が実直なお鮨と表現されていましたが、その意味が分かりました。
お漬物まで美味しくて嬉しすぎた。幸せすぎた。

おうちでこんなお寿司がいただけるなんて、私のシンガポール生活って恵まれすぎじゃない!?
もちろんお店に伺っていただきたいけど、こうやってゆっくりお家でいただける幸せを噛みしめました。


↑こちらはPremium Nigiri Sushi Set(100ドル)

 

ひとつひとつ丁寧に美しく包装されており、それを見ただけでテンション上がります。

この包装されたお寿司を手に取った時に、アン・リンドバーグの『翼よ、北に』を思い出しました。
ずっと昔ですがこの本を読んだ時に、とても印象に残っている箇所が二点ありました。
ひとつはサヨナラという言葉についてのこと。

「サヨナラ」を文字どおりに訳すと、「そうならなければならないなら」という意味だという。これまで耳にした別れの言葉のうちで、このようにうつくしい言葉をわたしは知らない。 Auf Wiedersehen や Au revoir や Till we meet again のように、別れの痛みを再会の希望によって紛らわそうという試みを「サヨナラ」はしない。(中略)けれども「サヨナラ」は言いすぎもしなければ、言い足りなくもない。それは事実をあるがままに受けいれている。人生の理解のすべてがその四音のうちにこもっている。ひそかにくすぶっているのを含めて、すべての感情がそのうちに埋み火のようにこもっているが、それ自体は何も語らない。言葉にしない Good-by であり、心をこめて手を握る暖かさなのだ —- 「サヨナラ」は。

もうひとつは正確な文章がインターネット上で見つけられなかったけど、綺麗に包み紙で包装され商品が陳列されているのを見て日本人の色彩感覚に感動した?というような箇所。
あとは別の本のあとがきにあるのですが、紙と紐でさえ〜の箇所です。

アン・モロウ・リンドバーグの日記と手紙をまとめた「輝く時、失意の時」のあとがきに「日本を愛する母に代わって」と題して娘のリーヴさんが「東方への空の旅」から文章を引用して次のように書かれています。 <母は「日本人の一人一人の中に芸術家がいた」と、初の日本訪問の後で記しました。「その手が触れた跡はあらゆるところにあり、博物館の宝物だけに留まらない。最も簡素な着物の中にも、筆の跡にも、街中に花のように開いた青や赤の日傘にも、食事のためのありふれた食器にも……。日常で使う<紙と紐>でさえ、その手によって芸術的なものに変えられるということに、私は気づき始めた。(「東方への空の旅」1935年、ハーコート・ブレース社 ニューヨーク) 私の母は、簡素な生活の真価と美しさを愛し、その著書「海からの贈りもの」に書きましたが、母にとってこの日本訪問は、彼女自身の精神とぴったり一致する文化に初めて触れるものとなりました。>

銀座鮨一さんの包装は派手な色を使っているわけではない。それこそ紙と紐のみ。
でもとても美しく洗練されており、無駄がない。日本の美だなぁと。
そう感じ、アン・リンドバーグのことを思い出しました。
日本人会の図書館にあるかな?もう一度この本を読み返したいな。

 

そうそう、母の日ギフトなのか割り箸とは別に立派なお箸が入っていました。
それを見て再度テンションが上がった私でした。
銀座鮨一さん、美味しいお寿司に素敵なギフトまで本当にありがとうございました!

 

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