五十鈴おばあちゃん

VANI'S NOTE

トップ画像は大好きなヤマモトさんに描いていただいた私のイラスト♡
実物より100倍よく描いていただいていて、申し訳ないくらいなのですが。。。
お気に入りのデルセーのスーツケースと、愛用カメラまで描いていただいて嬉しすぎた。

今回はそのヤマモトさんがCosmopolitanにコミックエッセイを連載されていて、そこで知った五十鈴おばあちゃんのことを。
書いてある内容はもちろん、言葉の選び方や表現力を含めた文章がとても好きでした。
心に残った文章をこちらに残させていただこうと思います。

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まずはこちら生きる勇気を与えてくれる、カーディ・Bの成り上がり【セレブ斜め愛#4】
名前と顔は知っているけれど、正直私もカーディ・Bがどんな人物なのか知りませんでした。

おばあちゃんは、強い女性、フィアレスな女性、パワーウーマンが大好きです。カーディがラッパーになる前はストリッパーをやっていて、お金を稼ぐことでDV気質のある男への依存を断ち切ったり、学費がなくて一度は退学をした大学へ復学したことを、ファンの方はご存じでしょう。
誤解のないようきっちり記しますが、おばあちゃんは「のし上がる手段としてストリッパーは良い選択」などとはまったく思っていません。伝えたいのはのし上がるために、自分自身を引き上げるためにプライドをもってやったことを、他人がとがめる権利など一切ない」ということ。ちなみにカーディ自身も、自分のファンたちにストリッパーになることを勧めたことはありませんが、「大事なのは目標を持つことと、もし失敗したら代案になるようなアイデアを用意しておくこと」とメッセージを送っています。
おばあちゃんは、カーディの音楽がわかりません。「カーディと同じことをやって、のし上がれ」と言われたら全力で拒否するとも思います。しかし、自分が好きなものや自分がしてきたこと以外のところにも『正解』はあると認識しておくことはとても大事だと思うのです。それは、他人に対する理解を深める必須条件であり、同時に、自分自身が今後もっともっとラクに、幅広い可能性の中で生きるための必須条件でもあると思うからです。

 

途中文章を省略している部分もありますが、私がその通りだよねと思ったのが赤文字の部分。
そういう風に思ったり感じていたこと、私自身が上手く言葉に出来なかったことを綺麗に表現してくれていて感動。
私だったら絶対にやらないけど、それをやった人を非難する気は無いしそもそもそんな権利ない。
自分の人生を肯定したいから、そうでないものを否定したり下に見る方が楽なんだよね。
でも人生はフェアじゃない。大人になればなるほど、自分がどんなに恵まれて育ったかが分かる。
私はたまたま日本に生まれて苦労せずここまできたけど、違う国違う環境に生まれていたら人生違っていたはず。
五十鈴おばあちゃんが仰るように、そういう認識でいた方が人間関係が自分自身ラクだと思う。
違うから拒否や否定ではなくて、違いを認めた上で相手との共通点を探したり違いを面白がったりね。

 


さてお次はこちらのジョディ・フォスターの「覚悟」から受け取ったもの【セレブ斜め愛 #7】
スピーチの内容は五十鈴おばあちゃんの記事のリンクを見てみてくださいね。

ジョディ・フォスターほどの才能と人気と実績を兼ね備えた人ですら、「カミングアウトした後は、大作映画や話題作からの出演依頼はゼロになるかもしれない。それでも私は仕事を続けていく」と覚悟をしなくてはいけなかった。そんな覚悟をしたうえで、「多くの『同じ立場の人たち』に伝えなくてはいけないことがある」と、別の種類の覚悟を決めた…。おばあちゃんはそんなふうにジョディの「二重の覚悟」を感じたのです。
「おばあちゃん、考えすぎでしょ」と思う読者の方も当然いるでしょう。でも、60年代からエンタメの世界のど真ん中にいたジョディの実感は、たぶんおばあちゃんが想像するより何百倍もつらく、厳しいものであったはずです。女性差別もLGBT差別も、それが「差別である」という認識すらされないまま大手を振ってまかり通っていた時代から、ジョディは、知性と才能を武器に、つぶされることなく、消費され切ってしまうことなく、サバイブしてきました。
そんなジョディの言葉に、感動とはまた別の、重くて、しかし前向きな何かをおばあちゃんは受け取りました。もっと正確に言えば、重くて、でもだからこそ、前向きにしていかなくてはいけない、何かを受け取ったのです。

コスモポリタンの読者の中には、「LGBTの世界は自分にとって遠いこと」と思う方もいるかもしれません。ただ、この『セレブ斜め愛』でホイットニー・ヒューストンのことを書いたときにも言いましたが、マイノリティの定義を“本来同等に与えられるべき権利や機会が与えられない存在”とするならば、世界でもっとも人口の多いマイノリティは『女性』である」というおばあちゃんの持論は変わりません。
そのマイノリティの中にいる誰かが、同じ立場の、あとに続く若い人たちのために、意を決して何かを主張したり告白したのなら、せめてそれを応援したいのです。「何もこういう場所で、それを言わなくても」とか「寝た子をわざわざ起こすようなマネは不粋だ」などとは思わずに。
そういう発言、そういう行動が、どれほどの扉を開いたのか。それが見えるようになるまでには、少なくとも10年はかかるのですから。

世界を変えていくきっかけ、社会を変えていくきっかけには、必ず、大きな決断や大きな覚悟を胸に秘めて、最初の一石を投じた人がいる。この連載のマドンナの回でも書きましたが、そうしたフロントランナーは、間違いなく大変な風圧を受けるものです。おばあちゃんが歩いてきた道も、そうした人たちによって作られてきました。
だからこそ、おばあちゃんも微力ながら、自分が歩く道をもっとラクにするために、そして、後ろを歩いてくるだろう若い方々にとってこの道をもっとラクにするために、何ができるかを考え続けたいのです。 
コスモポリタンをお読みの若いみなさんの歩く道が、おばあちゃんが若いときに歩いてきた道より、もっともっと歩きやすくなっていることを願ってやみません。

 

五十鈴おばあちゃんの文章を読んで、改めてジョディはすごい人なんだと思った。
仰るように、知性と才能を武器に潰されることなく消費されきってしまうことなく生き抜いてきたんだもんね。
少し話は違うけど業界のセクハラパワハラ問題だと、Harvey Weinsteinのような事件は氷山の一角でしょ?

SNSで自分の言葉を発信することが出来る時代。
五十鈴おばあちゃんが「そう、私はそれを言いたかったの!」という内容を文章にしてくれていました。
だからブログでシェアしたいと思って書きました。(読んでくれているのは友達と家族だけなんだけど笑)

長くなってしまいましたが、五十鈴おばあちゃんの記事は全て面白いので読んでみてくださいね!

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